⽇本は経済最優先の国です。コストは低いほどよく、利益は⼤きいほうがいい、そういう価値基準で考えます。そこについて議論をするつもりはありません。
しかしそれを当てはめ、中⼼において考えることをしてはならない場⾯が、社会の中にはたくさんあり、その⼀つが難⺠審査です。
明⽇にでも採決されるかもしれない⼊管難⺠法の改定案ですが、端的に⾔ってこの改定の⽬的は「難⺠申請3回以上で難⺠申請者を強制送還できるように」することです。
ご存知の通り現⾏法では、送還停⽌効というものがあり、難⺠申請中は本国に送還できません。このルールは⽇本も加盟している国連難⺠条約のノン・ルフールマン原則に基づいています。これをまずは無くしてしまおうというのが法務省と⼊管の、今回の法改定の⽬的です。
もちろん経済界としては、もはや外国⼈たちの労働⼒なくして⽇本の経済が成り⽴たないことは承知の上でしょう。⽇本が多くの外国⼈を労働者として受け⼊れるに当たって、出⼊国在留管理庁が役割として⼊国警備に⼒を⼊れるのは当然のことで、その職責はまっとうする責務があるでしょう。これは外国⼈を「労働⼒」として捉える経済界にとっての労働移⺠について語っています。ここにも多くの問題がありますが、今は触れません。とにかく⼊国警備と外国⼈管理を担う⼊管としては、⾃らのコントロールのもとで、きっちりそれを⾏いたいと思っているはずです。
しかし現状、思い通りにならないのが、先ほど⾔った難⺠申請中の外国⼈は強制送還できないという送還停⽌効の存在です。⽇本では、どんな外国⼈でも難⺠申請することは可能です。⼊管の⾔い分としては「不法滞在者」「犯罪者」なども難⺠申請さえすれば⽇本に留まり続けることができてしまう、だから3回以上不認定になった難⺠申請者は強制送還できるようにしようと⾔っているのです。
3回以上の不認定で強制送還、これが⾔えるのは国際基準に則った公正と正義のもとで、出⾝国の詳しい状況や個⼈の事情について、難⺠に関する専⾨的な知識と経験、⼈権に対する感受性と⼈間洞察に優れた審査官、そして参与員によって⾏われた場合です。この点、⽇本はまったくそうなっていない、というのが今回の政府改定案に反対する側の⾒⽅です。実際に20年以上、クルド⼈難⺠申請者の問題に直⾯し続けて来たわたしたちの思いも、まったくその通りです。
今回、この法案の⽴法根拠とされた柳瀬房⼦参与員の「⽇本の難⺠申請者の中に、難⺠はほとんどいない」という⾔葉の真偽が問題視され、さまざまな⾓度から検証した結果、柳瀬参与員が扱った審査の件数が虚偽であったことが明⽩になりました。これは⼊管難⺠法改定の⽴法根拠が覆されたことに他ならず、振り出しに戻すのは当然のことです。⼟台がいい加減なことに気づいたのに、それでもその上にビルを建てるようなことは、まともな建築家ならするはずがありません。それにも関わらず今、明⽇にもこの政府改定案が強⾏採決される局⾯に、⽇本は⽴たされています。間違った⼟台の上に、難⺠申請者たちの命と⼈⽣のかかった法案が成⽴されようとしているのです。
柳瀬参与員から直接電話を受けたAさんが、メモがわりに録⾳しておいたという⾳声記録をじっくりと聴きました。全体で50分近くあるその⾳声を、何度も聴き直しました。
Aさんは、柳瀬参与員が名誉会⻑として席をおく認定NPO法⼈「難⺠を助ける会」に寄付をしたりチャリティに参加したりしてきた⽅です。今回の国会での流れを⾒てショックを受け、法⼈のフォームに問い合わせのメールをしました。すると驚いたことに、柳瀬参与員ご本⼈から直接電話が来たのです。Aさんはその事実と内容をお⼀⼈では抱えきれないと思い、勇気を持って友⼈たちに相談しました。そして様々な葛藤を乗り越えて、6/2の夜に弁護⼠たちが開いた記者会⾒に登壇したのです。それは左翼活動家でもなんでもない、ひとりの市⺠としての「この状況はおかしいのではないか」という強い思いからの決断でした。
⾳声記録には、柳瀬参与員⾃らが語った取扱件数の⽭盾とともに、驚愕の⾔葉がたくさん残されていました。取り扱い件数の⽭盾については各報道にある通りです。
2)「絶対、そんなふうに状況の悪い時に帰れないって⾔っている⼈を(ビザを取り上げることはない)。それを補完的保護をもっとちゃんとできるように、今回の法律で当然なっていますし、この法律がまだ通っていなくても、そのようにしています」
現状のままでも、状況を考慮して難⺠を保護できるようにしているということですが、それでは法改定する必要はないのではないでしょうか? 本当にそれができているなら、もっと多くの在留特別許可を付与される⼈がいてもおかしくありません。なぜこの⼈が?という申請者がまったく保護されていない現状をずっと⾒て来ている者として、まったく納得のできる話ではありません。
4)「放棄案件(参与員のインタビューを受けずに書⾯でのみ審査請求をした⼈のうち、書⾯を出さなかった⼈の案件)というのは新たな資料を出してきておりませんので、その分の資料を⾒なくてすみます。そういった部分、だいぶ違いますので。それから申請内容も全然違いますし。そういう意味では、内容が誰かこう、ブローカーがこういうように書くようにとコピーしたものがたくさんつらなかっていますので。⼿を抜いているわけじゃなくって、時間的にとられるものが(対⾯審査と放棄案件の書類審査では)だいぶ違います」
この⼊管が放棄案件と呼ぶ審査請求についてですが、クルド⼈難⺠申請者から話しを聞くと、時々この放棄案件になってしまっているのではないか、と懸念されるものがあります。本⼈たちに理由を聞くと「どうせ意味ないでしょう?」という返事の他に、書⾯を出したという主張があります。詳しく話を聴くと、「難⺠不認定で不服申し⽴てができると知らされたが、インタビューと書⾯のどちらを選ぶかの段階で書⾯を職員から勧められ、書⾯審査の欄に印をつけて申請した」と⾔うのです。そして書⾯はどうしましたか? と尋ねると、「そこに印をつけたので、⾃分が最初に出した難⺠申請書をもう⼀度審査してくれるものと思った」と⾔うのです。つまり、新たに書⾯を出して審査してもらうという意味が通じていなかった訳ですが、もっと酷いのが、不服申し⽴てに当たる審査請求を知らずに、2回⽬の難⺠申請をしたという例もありました。⾃分⾃⾝で頑張って難⺠申請をしても、⼿続きが正しく理解されておらず、放棄案件、あるいは審査請求すらせずに2回⽬の難⺠申請にカウントされてしまうのです。
そして「ブローカーがこういうように書くようにとコピーしたものがたくさんつらなっている」というところについて。ここについてはきっと⼀般的には同情の余地がない、と思われる⽅も多いのではないかと思います。しかし、本当の意味でクルド問題についての理解があれば、これについて変だという感覚の中で、弁護⼠もつかずに申請する場合、こうなってしまう可能性がある、ということに気づきます。クルド⼈はクルド語を禁⽌されて来ました。学校でトルコ語の授業についていけず、いじめや差別を受け続けて⼩学校を途中でやめてしまう⼈もいます。そういう⼈たちが外国のフォーマットに、⾃分の状況を、トルコ語で⽂章を作り、書き込まなければならないのです。知り合いや経験者に頼り、こう書けばいいよと教えてもらったものをそのまま書いてしまうことは、当然あり得ます。もちろんそれを肯定するものではないのですが、そのような事情が起こってしまうこと⾃体が、難⺠として主張する理由の切れ端にあるのです。もしも参与員がそのような根本的な事情を理解していれば、放棄案件として投げ捨てられることもなかったのではないかと思います。
7)「ガジアンテップのある家族の⼈たちばかりが⽇本に来ているということです。系図がかけるような。⽇本に来るときの決め⼿として、(当然ですが)ノービザだったり、親族がいるからということも、理由になるのかも」
いったい何⼗年前のお話しをされているのでしょうか。古くから来ている⼈たちには系図が書けるような親族関係もありますが、現在は、北クルディスタン(トルコ南東部)のさまざまな地域から来ており、決して
「ガジアンテップのある家族の⼈たちばかり」という状況ではなくなっています。
難⺠審査は、⼊管から独⽴した、本当の意味での専⾨家集団が担当し、その職責をまっとうするべきだと考えます。
クルドを知る会 2023.6.5